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初めに言っておこう。これは残念な聖戦である。

しかも、転生戦士の時空を超えた果てしなく切なく熱く残念な戦いを描いた物語である。



「魍魎戦記MADARA」という作品がある。25年以上も前に誕生した少年バトル漫画である。当時としては斬新だった、日本神話をモチーフにした舞台設定で、連載雑誌はなんとマル勝ファミコンだった。

その作品には全てがあった。

ボサボサ頭のぶっきらぼうな少年と、
少し年上で美しい幼馴染の少女と、
振れば衝撃波を斬撃として飛ばす霊剣と、
制御できずカタストロフィを引き起こす力の暴走と、
次々と転生を繰り返し繰り広げる聖戦と、

僕らが愛してやまない少年漫画の全てが詰まっていた。後に残念な黒歴史と化すに十分な「設定」の数々が、満腹を感じる暇も無いほどテーブル一杯に並べられてた。

僕らは夢中で貪った。残念な涎を撒き散らしながら。時には隣の友人の席に「んぐぅ、これうんまいよぅ食ってみてぇぇぇえ!」とばかりに歯型の着いたそれらを放り投げながら。減っていくであろう友人達の台詞は決まって「お、おう、」である。

ちなみに僕は作中に登場するカオスという少年剣士の髪型に憧れて、ボウズに毛が生えたようなポテトヘアーにダイエースプレーを振りかけた記憶がある。完成したのはリーゼントの半人前であり、その写真はFacebookにアップしてある。探す価値も無い。

「魍魎戦記MADARA」は、商業誌での連載を終えた後も、歪な神話体系を青カビの根のように広げ、トボトボとした歩調で作品を世に届ける事になる。何年もかけて。

まともな人間はこのタイミングで離脱に成功する。ただし、稀に頑強なる厨二力をもって踏みとどまる人間もいる。それが僕や、この「残念な聖戦」の作者だ。


この神話に魅力された僕らは、いつしかたった一つのお決まりの「設定」を求めるようになる。

そう、「もし転生戦士達が現代に蘇ったら」だ。

天塔の如くそびえる都会のビル群を駆け抜け、同じく蘇った魍魎達と霊剣を切り結ぶボサボサ頭の転生戦士達。僕たちの通う高校に転校してくる謎めいた美しい少年少女達。通い慣れた通学路を異世界に変えてくれる、そんな「設定」を求めた。

その渇望に応えてくれたのが『転生編』と名付けられるサーガの最終章だ。

僕はまたも夢中で口に詰め込んだ。原作者も閉口するであろう下品さでおかわりを求めた。その頃の僕はファンタジーの過剰摂取で、少年とは思えない程だらしない下腹をしていたと思う。そのぐらい飢えていたのである。聖戦に対して。

しかし、二次性徴の終わらない永遠の中学二年生は手酷く裏切られる事になる。

そう、もう料理が運ばれて来なくなったのである。

コックである原作者はもう飽きてしまったのか、膨らみすぎた神話柄の風呂敷を畳めなくなったのか、ある日突然パッタリと。

僕はもう怒りに怒った。それはもう、空っぽのポテトチップの袋に手を突っ込んだまま拳を握り、壁という壁を殴り続けた。勿論、壁にはヒビ一つ入らず手の皮はベロベロに剥けた。

残飯が散らばるテーブルに突っ伏してか細い声で「おかわり、、、」と呟き続けて何年が経過したろう。全てを諦めて席を立った頃には、成人式への出席を忘れていた事を思い出した程だ。

それ以来、「魍魎戦記MADARA」の事を忘れ、赤井餡子似の妻を娶り、webの業界に身を投じ、今年で34歳を迎えた。

そんな年に出会ったのが、本書『残念な聖戦』である。

第五章の読了後、胃液がせり上がってくるような懐かしさと不安感を憶えた。

ひょっとしたらあの転生戦士達は、今もアガルタとの戦いを続けているんじゃないか?僕が勝手に席を立った後も、僕の気付かない所で小龍を燃やしているんじゃないか?僕は死に遅れた兵頭沙門なんじゃないか?

その妄想が脳内を駆け巡った時点で、僕は確信した。

本書は108編ある神話の一つ、または109編目の物語であると。

そう、マダラの影を追い続けた青春の日々は残念であったと。自分は残念で不愉快で満たされる事の無い、幸福で勤勉な妄想家であったと。

本書は肯定してくれる。それぞれの残念な聖戦を。

是非手にとって読んでみて欲しい。洗練された他人の自慰行為というものは、見ている自分も気持ちよくなれるのだ。

文末となるが、著者である代々木助氏に一言申し上げたい。

僕とて犬彦綬陀矢の分身であると。
メガテンやペルソナやる時の主人公の名前は全部犬彦綬陀矢だと。伝説のバンド、サクリファイスだと。

さあ!僕らの残念な聖戦はこれからだ!